2008年8月18日月曜日

美しき 花咲かしたり 根を想う

良い悪いは別として、自分の過去の職業病的なものだろうと

今では整理しているのだが、人の言葉の裏側を常に意識して

会話する習慣が身に付いてしまった。

花を見て、根を考えるのもそうした癖から来るのである。

なぜその言葉が出るのか?

なぜその花はそこに咲くのか?

なぜ自分はそう話すのか?


ひとつでもその裏側に行くと、次の展開が見え易い。

将棋が好きなのは、小学生の頃からで、もしかすると

そうした相手の裏を読みながら、襞を合わせて対峙するのは

職業病というより、生来の性分のようなものかもしれないが。。。


気を回す自分が嫌になることが、昔から多かったようにも思う。

頭の中で、いつも会話がグルグルとシミュレーションをしながら

目の前の誰かと会話していた。

こうなると、相手とは別世界にいるわけで、時々非連続な文脈を

発することとなり、今も時々カミさんが言うように、

『何故あなたが、今ここでその言葉を発するのか理解できない。』

なーんて事になったりするのである。

自分の中では、至極当然の成り行きなのだが、相手にしてみれば、

キャッチボールしてたと思ったら、急にバッティングし始めたような

ものであり、 まあ、その感想は当たり前である。


こうした、余計な肩の力(グルグル別回路)が、以前よりも少しだけ

抜けるようになって来たのは、「何でそうなっちゃうんだろう・・・?」

と、自問自答し続けて来る中で、

「やっぱ、どっかでかっこつけようとしてるんだろな~」

(もちろん何十年も前から、この言語に気づいていたわけだが・・・)

「所詮俺だしな~」、「かっこつけると、なんかかっこ悪いな~」

だんだんと、こういう感覚が強くなってきたためだろう。

もともと、思っていることと身体の動きは異なっているもので、

揃っている人がいるならば、相当、脳と身体の運動神経が良い。

自分は、そう思うのです。。。


さて、得意の飛ぶセンテンスで繋げば、

『東京人より関西人のほうが自殺し難いのではないか?』 (笑)

笑いの原点にあるのは、かっこ着けないこと、落とすこと。

落ちる高さも必要だし、その自らを落としてでも受けを狙う・・・。

その道を究めるのは難しいが、物事全般の対処法としては、

どうも、この世の中、そちら方が楽なのかもしれない・・・。


今日もどこかで、命を絶つ人が絶えない。

自分を笑えたら・・・、笑われる自分を好きになれたら・・・。

そうはならないハズ・・・。


そのように、かすかに信じている夜であるが、、、

いやー、しかし外は寒い。 完全に身体が冷えた。

見上げれば、流れる雲間から見える白い月が、 時に光量を増し、

優しく静かに見守ってくれている。

お月様はありがたいのだ。


 ~ 寒いので了 ~

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