2009年4月21日火曜日

今日は、昨日までの結果である

今が、非常に苦しい。

しかし、今日の厳しい状況は、昨日までの結果である。



こちらの行動に対し、周囲は正しく反応している。



とはいえ、取り巻く状況が一気に悪化してしまった。



勤務先の会社は、資金繰りがほぼ限界である。

借入金返済はストップ、社会保険も地方税も延滞。



高齢の親は体調が心配で、母親は周囲に攻撃的であり

認知症的症状になっているかもしれない。

数日スパンでトラブルが起こる。



何より自分の集中力が減衰して一つ一つが完了しない。

仕事上のパフォーマンスも今ひとつだ。

しかしながら、そんなことは言っていられない。
家族を守るため、家庭の家計を回すために、転職活動に入っている。
おかげさまで、話がいくつか進み始めた。
今提示されている条件で、足りるかどうか分らないが、
そこでやるしかない。

しかし、ここまで一気に家計を圧迫する事案が来るのは
何でなのだろうか?
何としても、この苦境を何年かしたら笑い話にするのだ。

2008年11月21日金曜日

年末の大掃除

11月に入ると、大掃除を取り上げる番組が増える。
主婦には、なかなか受けるようである。
「片付けられない女」、「捨てられない女」などなど。
まあ、昨今女に限らないわけで、
年末大掃除は旦那も子供も含めて家族で協力して行う良い行事でもある。

自分も、仕事をスムースにするためには、 捨てることから始めないといけないと、常々思っている。

あれこれ必要な情報を集めた後に、そこから肝を見つけられるときは、 一気に捨てていける。
肝が見えないと集め続けることになってしまう。
しょうがないので、いったん離れる訳だが。。。


すぐに、肝となるストライクゾーンの分かる人を、 これまで何人か見てきたが、そういう人に限って、会話はごく普通なのである。 ほんとに、普通といえば、普通に見つけていく。
でも、普通だからこそ、腹に落ちるし、説得力がある。

ふわっと構えていても、瞬時に適当な受け答えが出来る人になりたいなあ。

アプローチがあってるかどうか知らないけれど、
「部屋の掃除」と「読書」が、少しでも近づく道だろうか??

年末大掃除は、11月から少しづつ始めている。
『 小さなことからコツコツと 』
年内のテーマは、これで行ってみよう!!

2008年9月14日日曜日

前回の続き

「宿題やってこない生徒に先生って、何て言うのさ?」

「○○先生はねえ、2回続けてやってこないと、成績下げるぞっ!って言うでしょー。」
「やっぱりそういう人にはさぁ、何か罰を与えるべきなんじゃないの?やらなかったらクビとかさ。いきなりクビはかわいそうだから給料下げちゃうよ~とか。。。」

「ほーっ、なかなか厳しいねえ。自分らだって宿題忘れる事だってあるのにさ。。。立場が変わると違うねえ。(笑い)
でもさ、やらなかったら罰を与えるのと、やったら何か貰えるのと、どっちが良いわけよ?宿題やる側からすれば。。。」

「そりゃ貰えるのは嬉しいけど、そんな事したらお金が足りなくなっちゃうんじゃない?」

「ほぉほぉ、良くお分かりで。。。人って宿題出す側と、出される側で、立場が変わると言うことが違ったりするよね?今みたいに。。。パパはとにかくやってもらえれば良い訳なんだけど、そうでないと会社は儲かっていかないし、その人への給料も増えない。 なんか疲れるけど、しょうがないから考えてるわけ・・・」

「でも、やらない方が悪いんでしょ。」

「まあそうだけどね。それでやってくれるなら楽。。。あれこれ指示されて、やってないと叱られる。指示される方が楽かも知れないけど、それってちょっと嫌じゃない?やって当たり前でマイナスしかないってのは寂しいだろ。。。 塾の満点カードとか嬉しいんでしょ?」

「うん、溜まると景品と交換できるから、めっちゃ嬉しい。。。」
とかとか数分の会話。。。


とある若者意識調査では、「いい上司とは?」の質問に対し、
・具体的な指示をしてくれる
 →「お前に任せるから好きにやってみろ・・・」は、責任の放棄に映るらしい。
・褒めてくれる
 →叱咤されてもなにくそとは思わない。

今回の場合で言えば・・・
前々日に途中経過を聞いたとき、4営業日で4社案内を済ませたことを褒めるべきだった、 ということか。。。しかし残り1日で6社だから「おいおい頑張れよ!」は、今考えても致し方ない。もう一度その場面になったら多少褒め言葉を冠せたとしても、あの時はそこで褒める気になれなかった。

基本的には本人の中に欲求を起こさせるのが肝要なわけだが、人によって欲求の方向性も違うし、本人の欲求自体も一様ではない。人によって違うし、タイミングによっても効く言葉違うということになる。

本人の志向を知っておく、本人の状態見極める眼力、判断、そして掛ける言葉・・・なかなか奥が深い。
一定シェア、時間を共有している場合とそうでない場合でも違うし。
とにかく、彼に対しては少しやり方を変えないといけないかもしれない・・・。

しかし、何で自分はこの作業に疲れるんだろう?

2008年9月13日土曜日

宿題をやってこない生徒に先生は何て言うの?~子供との会話

中途入社して半年ほどのメンバーと、会話しながらかなりの疲労を覚えて帰途に着いた。
何故か珍しく「帰るコール」(・・・最近死語ですか?)をしたら、会社至近のショッピングモールにいるというので
そのまま向かい、家族揃って夕食を食べる。

なぜ疲れたのか?簡単に言えば、その入社半年の新人君。
「○○をいつまでにやります!」って全体会議の席上で約束したことを、やり切る事がなかなか出来ない。
「大丈夫か?」との問いにも、「大丈夫です、十分できます。」と答える。
たしかに、ある商品を贔屓にしてもらっているたかだか10社に対し、ご案内するという目標である。 その気になれば、電話+FAXで3時間もあれば可能なはず。当人は「10社のうち半分には、もともと行くアポもあるし、訪問時に一緒にご案内してきます・・・」と言う。
期間は来週の会議までの1週間。今回は守ると思っていた。一応、前々日の晩にはどこまで進んだか電話で確認した。それまでに営業日4日使って4社であった。そのうち1社は初日に自分も同行した時のもの。そこでは別の本題を会話しそろそろ終盤になったので。「すみません、○○のご案内だけさせていただきたいのですが、、、」と言って本人に振る。 「あっ!そうでした。」という顔。まあでも、その場で案内した。 先方は「まず先に、今ご相談したことやりたいし。うーん予算もねえ。。。でも一応検討してみますよ。本社とも話さないといけない。」 出足の反応としては十分である。 しかしその後が続いていなかったようである。 「社名を書き出して机に張っておくと良いよ・・・。」 そう言って別れたのだが。。。
「残り1日になったけど、進捗はどう?そうか、じゃあ残り1日期待してるよ・・・。」 電話で確認を入れた。。。
さて会議の日、結果的には完了していない。3社を残した。机を見たら・・・貼ってなかった。
その他の仕事がパッツンしてる訳でもない。 まあ片やの問題は、先輩社員は居るがマネジメント職が週2回しか行かない職場であること。 しかしである。。。ここまでして、またも裏切られた・・・。

「みんなと約束したことでもあるが、自分の口から言ったことであり自分に約束したことでもあるわけ。
それを、簡単に破るって言うのは、自分に対して失礼だと思わない?こういうの続けると自分に良くないよ。。。」

(ここからは食事しながら・・・)
『みたいな事があってさ、今日はなんか疲れたのよ・・・どう思う??? ところで学校の先生はさぁ、宿題やってこない生徒に何て言うの?』
これに対する中1、中2の回答、さらにはこうすれば?というアドバイスまでくれる。
なかなかやり取りが面白い。。。 その後の展開はまた。

2008年9月7日日曜日

『私はあなたとは違うんです!』は流行して欲しい。。。

一国の総理が、あっけなく辞任するのは理由はどうあれ、納得がいかない。

しかし、会見で残した『私はあなたとは違うんです!』という言葉。 この国が抱えるある種の病理のようなものに、なかなかいい処方箋なのかもしれないと 思いながら聞いていた。自分は政治音痴だし、詳しいことは分からないが、福田総理本人は、 どこかの局面で使いたかった最たる言葉じゃなかろうか・・・と邪推している。

その昔、盛田著『NOといえる日本』という本が流行ったことがあるが、 国際化が進展する中で、アイデンティティを守り、友好関係を築くために、 日本人の精神性にもっとも欠けているものを、象徴的言語として表現した・・・ のだと思う。
『あなたとは違うんです!』という言葉も、使われる局面がいささか小さかったが、根源的な意味は近しいだろう。

『地球はでっかい泥団子みたいなものだと思う。二色の泥が絡み合いながら マーブル模様になっている。これが戦争のない世界じゃないんかな?』 洞爺湖サミットで、とある左官屋さんが言ってた。 国家の枠では理想論かもしれないが・・・スタンスはそうありたいもんです。

違うものは違うと言う。
これはお互いがお互いを理解し、共に成長する関係性を作るためには 通らねばならないスタート地点でもある。

この言葉が流行語となり、
国際化の波に戸惑う日本国の。そして、、
真の自由や、社会との襞合わせに戸惑う日本人のための。
ひとつの契機になって欲しいと、勝手に願を掛けている。

家庭で、学校で、会社で。
『私はあなたと違うんです!』
何だかワクワクして楽しいような気がする・・・のは自分だけだろうか?

2008年9月4日木曜日

スローはファーストかもしれない。

最近、ゆっくりする機会が増えたようにも思う。実際今こうしてブログなど書いていたりする。
とはいえ、こなしている仕事の量×品質・・・成果みたいなものは、かえって総量が増えたようにも思う。
ニュアンスが微妙なのだが、ゆっくり≒スローだとすれば、一定のスローが生活時間内にあると、
仕事や行動はファーストかもしれないと感じていたりする。要は今やりたいことをやろうと思えばやれるわけで
大事なタイミングを逃さないし、その気になってやれるわけである。

以前某社で秘書をしていた頃、同期の友人と深酒していたとき。彼が言った言葉がまだ記憶に残っている。
「社長秘書ってさあ、寿司屋の板さんみたいだよね。客の注文があればすぐ応えてパッとだしてさ。それが終わったらまた立ってる。忙しくっちゃあいけない。立ち様が忙しく見えてもいけない。どこか常に余力を残してるみたいにさ・・・。」
二人で寿司でも食べてたのだろうか?
『なるほど、そうだ。。。』 そう思いながらも、こういう立ち方は、当然おいそれと真似できるものではない。

時々伺う天ぷらやの親父は、店を一人で切り盛りしているが、客其々の進み方・表情、鍋の中のひとつひとつの揚がり具合とが絡まって動いている。過日は飽き始めた4歳の子供の変化を、いの一番に見抜いて見せた。いつもながら目配せの確かさはたいしたものだと感心させられる。客の我々一人一人が、鍋の中にある具材みたいに見えているんだろうか~(笑)

少し寒くなってきたし、秋の食材で天ぷらも良いかもしれない。

2008年8月18日月曜日

美しき 花咲かしたり 根を想う

良い悪いは別として、自分の過去の職業病的なものだろうと

今では整理しているのだが、人の言葉の裏側を常に意識して

会話する習慣が身に付いてしまった。

花を見て、根を考えるのもそうした癖から来るのである。

なぜその言葉が出るのか?

なぜその花はそこに咲くのか?

なぜ自分はそう話すのか?


ひとつでもその裏側に行くと、次の展開が見え易い。

将棋が好きなのは、小学生の頃からで、もしかすると

そうした相手の裏を読みながら、襞を合わせて対峙するのは

職業病というより、生来の性分のようなものかもしれないが。。。


気を回す自分が嫌になることが、昔から多かったようにも思う。

頭の中で、いつも会話がグルグルとシミュレーションをしながら

目の前の誰かと会話していた。

こうなると、相手とは別世界にいるわけで、時々非連続な文脈を

発することとなり、今も時々カミさんが言うように、

『何故あなたが、今ここでその言葉を発するのか理解できない。』

なーんて事になったりするのである。

自分の中では、至極当然の成り行きなのだが、相手にしてみれば、

キャッチボールしてたと思ったら、急にバッティングし始めたような

ものであり、 まあ、その感想は当たり前である。


こうした、余計な肩の力(グルグル別回路)が、以前よりも少しだけ

抜けるようになって来たのは、「何でそうなっちゃうんだろう・・・?」

と、自問自答し続けて来る中で、

「やっぱ、どっかでかっこつけようとしてるんだろな~」

(もちろん何十年も前から、この言語に気づいていたわけだが・・・)

「所詮俺だしな~」、「かっこつけると、なんかかっこ悪いな~」

だんだんと、こういう感覚が強くなってきたためだろう。

もともと、思っていることと身体の動きは異なっているもので、

揃っている人がいるならば、相当、脳と身体の運動神経が良い。

自分は、そう思うのです。。。


さて、得意の飛ぶセンテンスで繋げば、

『東京人より関西人のほうが自殺し難いのではないか?』 (笑)

笑いの原点にあるのは、かっこ着けないこと、落とすこと。

落ちる高さも必要だし、その自らを落としてでも受けを狙う・・・。

その道を究めるのは難しいが、物事全般の対処法としては、

どうも、この世の中、そちら方が楽なのかもしれない・・・。


今日もどこかで、命を絶つ人が絶えない。

自分を笑えたら・・・、笑われる自分を好きになれたら・・・。

そうはならないハズ・・・。


そのように、かすかに信じている夜であるが、、、

いやー、しかし外は寒い。 完全に身体が冷えた。

見上げれば、流れる雲間から見える白い月が、 時に光量を増し、

優しく静かに見守ってくれている。

お月様はありがたいのだ。


 ~ 寒いので了 ~